「ダホヘモハナミー、トツハ、パピポ。デヘラタ」と話された言葉を次の人が、「朝、起きてから、コーヒーを飲みました」と通訳した。もちろん、最初の言葉は何語でもなく、話した人が作ったメチャクチャ語である。それでも、不思議に意味が通じている。
これは先日、某企業で行われた「演劇的手法を使ったリーダーシップのためのコミュニケーション」の研修の一場面である。私は参加者として加わり、コミュニケーションとは、様々な身体的器官を通じて、自分の意図を相手に伝えるものだという側面を実感した。
前述した場面は「ジブリッシュ」という、いわゆる何語でもない自分のメチャクチャ語を使った練習である。ある意味、私たちの通常の会話から言語そのものが抜け落ちた状態で、相手の表情、ジェスチャー、声の抑揚や強め方などから、意味を読み取る練習と考えてもらってもいい。「そんなことが、可能なのか?」と思われるかもしれないが、コミュニケーションの中で言語そのものの占める役割は三五パーセント以下だと言われている。むしろ、ジェスチャー、表情、目線の取り方、呼吸の取り方、声の出し方、声の大きさ、声の高さ、話すスピードや間の取り方など多くの要素が関連している。つまり、「何を伝えるか」そのものより「どう伝えるか」が重要になっているようだ。ところが、日本の学校教育は「伝える」ことよりも、読んだり、聞いたりして「理解すること」に主眼が置かれ、「自己表現」そのものを学んだ記憶はあまりない。
この研修の参加者は日本人男性五名、インド人男性二名、日系カナダ人男性一名、トルコ人女性一名、シンガポール人女性一名、スイス人男性一名と私の計一二名であった。研修は英語で行われていたが、そのうちの半分以上の時間は上記の「ジブリッシュ」の練習のように、言語でない側面にあてられていた。
最初に参加者は円になって簡単な自己紹介をしたのだが、明らかな違いは日本人男性の姿勢、目線、声の出し方であった。顔はややうつむき加減で、表情には変化が無く、目線は主にインストラクターにだけ向けられるが、それでも、すぐにそらしてしまう。声は喉の上部だけから発声されているようで、輪になっている一二人全員に声が十分に届くとは言えない大きさである。一方、他の参加者は英語のアクセントは様々だが、比較的胸を広げ、ゆったりと椅子に腰掛け、顔は微笑をたたえながらしっかりあげてインストラクターに向け、同時に座っている他の参加者にも時折、目を配っていた。まだ初対面で緊張が抜けていないせいもあるかもしれないが、五人の日本人男性の存在感は薄かった。
自己紹介の後、私たちは「緊張をとる」、「立つ」、「呼吸する」、「声を出す」、「単語を言う」、「意図を伝える」など、一つ一つの行為に注目しつつ、演劇的手法を使ってゲーム感覚で様々な練習をした。それぞれは、一つ一つの身体の器官を使っていることを意識し、いろいろな想像を膨らませながら活動することが要求される練習である。例えば、立つ姿勢も足の開き方、骨格をまっすぐさせて胸を広げるだけで相手の受ける印象がかなり異なる。また、練習は、二人組で相手の反応を確認しながら、自分の次の行動を決めていくパターンが多かった。相手あってこそのコミュニケーションであるから、相手の反応に合わせて、自分の伝え方を調整することが重要なのだ。言葉に頼らずお互いの心を通じ合わせることを「以心伝心」ともいうが、相手の微妙な姿勢の変化、表情の変化、声の変化を総合的に捉えているから『以心伝心』が成立しているのかもしれない。演劇的な手法を通じて、私は言語を脇において、非言語的なもので相手と関係を作り、相手を理解していくための分析ツールを学んだようにも思える。
研修の最後に、インストラクターは、「何を伝えたいのか」、「自分の話をしたあと、聞いている人をどう思わせたいのか」という自分の意図を明確にした上で、自分の持ち物を使って、簡単なスピーチをすることを私たちに指示した。ある人は電子辞書を持ち、いたずらげに眉を動かし、聴衆の注意を引きつけた。ある人は満面のスマイルで右手に携帯電話を持ち、その後ろから左手で数枚のカードを手品のように出しながら、「この携帯電話一つで、このカード全部の機能が…」と柔和な太い声で語り始めた。相手と目を一秒も合わせられなかった人も、しっかりと足を踏みしめ、正面に向かって声を出した。それが、存在感が数倍も増した日本人男性五名の最後のパフォーマンスであった。相手との関係性に細心の注意を払いながら、自分の意図を身体の全てを使って表現していくことは意識的な努力の積み重ねとも言えよう。
弊社メンター 鈴木有香による、コンフリクトマネジメントに関するコラムです。
▷ 1「ウィン/ウィンって何?国境紛争エキササイズ」
▷ 2「水戸黄門を超えて21世紀に求められる紛争解決スキル」
▷ 3「顔のないコミュニケーション」
▷ 4「ジブリッシュ: 演劇的手法によるコミュニケーション・トレーニング」